先輩インタビュー

医師を志望した背景

育休中に、お子様連れでインタビューに応じていただきありがとうございます。今日はよろしくお願いします。先生はプライマリ・ケアを担う総合診療・家庭医療の研修を積まれ、後進を育成する指導医もされています。先ず、医師をめざそうと思ったきっかけからお聞かせください。
小説が好きで、図書室の本を学年で一番借りているような子どもでした。物語の中に入っていく、そういうのが好きでした。当時テレビコマーシャルでアフリカの子どもの姿を目にしていて、小さいながらに、自分は日本に生まれて何不自由なく暮らしているけど、世界には困っている子どもがいるんだなー、そんなことを考えていました。
中学生のとき阪神淡路大震災があり、それが自分のターニングポイントでした。同じ日本人が困っていて、自分がこれまでとかわらず何不自由ない生活をしている、何かできることないだろうか、そういうふうに思いました。まわりに医療職がいなかった私が、医師になることを意識したのは、山崎章郎医師の「病院で死ぬということ」という本を読んだからです。いま民医連でやっていることと一緒ですが、亡くなる患者さんの願いをかなえる、生活を支える、そういった内容でした。当時は、国境なき師団もやりたいな、アフリカなど海外で医療したいな、そう思っていました。そのためには手に職(医師免許)が必要だと。負けず嫌いな性格も幸いして、勉強がんばるしかないと思いました。
受験のエピソードを教えてください。
もともと文系だったので、医学部受験に向けてガリガリ勉強しました。
当時の推薦入試には、科ごとの面接というのがありました。生物・英語・数学など科の面接があったのです。生物の面接で、顕微鏡を見て15分で絵を書きなさいという課題が与えられました。顕微鏡を覗いたらぞうりむしがいました。推薦入試は手ごたえを感じられなくて「落ちたー」と思って帰りのバスの中で号泣しました。大学から通知が届いたときに不合格にしては大きい封筒だなぁと思い、合格することができました。医学部に入れたのは幸運もありました。負けず嫌いな性格なので部活でも頑張っていました。剣道部で関東大会に出場できていたので、内申が良かったのかな。美術も得意だったんですよ。私は剣道とぞうりむしで合格したのかなと思っています。
学生時代に、様々な経験をされたそうですが、少し紹介してください。
医学部の学生の中には家庭医療のマインドを持っている人がいなくて、全国の医学生のネットワークから教わっていたと思います。家庭医療だけでなく、漢方や鍼灸にも興味がありました。鹿児島のホスピスや、インドのマザーテレサの家にも行ったことがあります。核実験がもたらした被害や健康問題を学びに、マーシャル諸島に行ったのは4年生のときでした。5年生のとき、医学教育で有名な揖斐郡北西部地域医療センター(岐阜県)に行きました。それ以外にも、低学年からいろいろなところに行っていました。
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そして初期研修から家庭医療の後期研修へとすすむわけですけど。
私は人の縁を大事にしてしまう性格です。出会った人を大切にしたい。低学年のときからいろいろなところへ実習に行っていて、三島共立病院や西渡診療所(浜松市天竜区にあった診療所、現在は閉院)にも行きました。5年生のときに三島で矢部先生に誘ってもらったことや、当時水谷先生など見知った先生方が三島共立病院にいたので、この先生方がいるなら良いところかなと思って、それから協立総合病院にチャーミングな女性医師がいて、一緒に働きたいなと思いました。
家庭医の道を考えたのは初期研修の中でした。協立総合病院は救急が半端なく多い病院で、救急車がバンバン来て、生死をさまよっている患者さんの判断が必要でした。看護師さんから何やってるのと言われたこともあります。協立総合病院ではいろいろな科の研修をして精神科の医師になってみようかと思ったこともありました。精神科のみさと協立病院に行ったこともあります。ただ、病院だと患者さんになり切っちゃった人ばかりなんです。30年入院してるという患者さんもいました。私は相談に来る人を相手にしたかった。ちょっとしんどいとき気軽に来られる、そういう科をやりたいと思いました。協立総合病院の尾関院長(現・名誉院長)や師匠と呼べる存在だった指導医に相談したところ、そういう医療が向いているのは家庭医だとアドバイスしてくれました。ちょうど医療生協連のレジデンシー東海が始まるときで、協立総合病院でできるということで声をかけてくれました。1期生の同期に、西尾先生(現・みどり病院)と今藤先生(現・尼崎生協病院)がいました。後期研修1年目2年目は病棟が多く、3年目に半年間、生協きたはま診療所で研修しました。そこが1番楽しかったです。
家庭医になった次には、初期研修医の指導にも携わってこられましたね。
協立総合病院にいた頃に、より良い医療者は「指導できて一人前」というのが、病院全体の雰囲気としてありました。院長が指導者だったことも大きかったと思います。きっかけはすごくやりたいなぁ、指導してあげたいなと思わせてくれた初期研修医との出会いでした。すごく真面目で頑張り屋さんの研修医だったので、思いを込めてやらせてもらいました。
これからの医師人生についてどのように考えているかお聞かせください。
わたし今は育児休業中なのですけど、東京で女性の医師がカトレア外来塾という勉強会を主宰されているので機会があれば参加したいと思っています。子連れでもいける勉強会で、託児スタッフがいます。これからの医師人生についてですけれど、しばらくは子ども中心になると思います。子どもの手が離れたら50代60代がピークになっていくかなぁと思います。子ども食堂もやってみたいし、やりたいことはいっぱいあります。家庭医療の良いところは、医学だけじゃなく自分が大切にしていること、人生観・生い立ち・子育て、全てを仕事にできることだと思います。診療所に来るいろんな患者さんに共感できるから。私は育休をブランクだと思っていません。それが家庭医の良いところだと思います。
インタビュアーの私自身が、祖父母の介護を経験していますので、辻先生の医療スタイルの有難さ、奥深さが身に染みています。先生にとって終末期医療についてどう思いますか? 最後に先生にとって家庭医とは?
終末期医療ですけども、やっぱり小説が好きだったので、患者さんと関わってこういう人生を送ってこういう人だったんだなぁと。その人の人生を終えていくお手伝いができる。そういう医療もとても好きです。
家庭医の対象は人生そのもの、生活そのものです。特に女子学生さんにお勧めしたいです。繰り返しになりますが、家庭医にとっての出産・子育ては、ブランクになりません。
  • 病院の「ちびっこ医療体験」で子どもたちと

  • 訪問診療の風景

長時間ありがとうございました。お子さんも(笑)お付き合いありがとう。先生には、アメリカ在住時の医療事情など、お聞きしたいことがまだまだたくさんありますので、また機会をいただけたら幸いです。ありがとうございました。

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