先輩インタビュー齊藤医師

齋藤 友治 医師

卒後、当時わずか28床の三島共立病院で初期研修を開始。週刊医学界新聞の特集を目にして自分で選択した王子生協病院(東京都北区)で臨床研修継続。医師4年目にして、浜松佐藤町診療所所長を担った。立川相互病院で内分泌代謝研修。現在三島共立病院(84床)院長。


医師を志望した背景と描いていた医師像

先生はどうして医師をめざそうと思ったんですか

中学3年ぐらいから漠然と考えていたと思います。自分自身の性格を分析したときに、毎日同じことをするのは耐えられないなと。一方で「人と関わる仕事」がしたいなと思っていました。

それで医者をめざそうと。母親が看護師で、同僚たちとやっていたバレーボールサークルによく連れていってもらっていて、そこで看護師さんや技師さんと接するなかで医療者を身近に感じていた影響もあったと思います。


医療者が身近な存在だったんですね。その頃すでになりたい医師像があったそうですね?

中学は野球部で、王、長島が大好きな野球少年でした。当時爆発的な人気があった「巨人の星」の思春編に出てきた山の診療所の先生の印象が強烈でした。

星飛雄馬が猛烈に恋した見習看護師と、月夜の日南海岸で物思いにふけっているんです。その女性・日高美奈はガンに侵されていて、残り少ない人生を充実させたいと、山の中の診療所で無給で働いていたんです。所長の沖竜太郎医師は、貧しかった無医村に医学と人間愛の灯をともした先生だと、日高や村人から尊敬されていて、医療費が払えない患者にも分け隔てしない姿勢がすごいと思いました。

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」にも影響されました。主人公は幕府が設置した小石川養生所の医長で、赤ひげと呼ばれているんだけど、目の前の患者さんを救うという熱意、苦しんでいる人の立場に立つってかっこいいなと思いました。さらに最初は上司の赤ひげに反抗していた若いエリート医師・保本が、病気の根元に貧困と無知とがあると気付き、変わっていくところも感動しました。多感な時期に出会ったから心に響きました。


医師への道は平坦ではなかったと思いますが?

磐田南高校時代は、野球部ではなく科学部ソフトボール班でした(笑)。

3年のとき、この成績で医学部は無理だと言われてしまいました。でも挑戦したくて。当時、国立は一校しか受けられなくて、東北地方の国立大を受験しました。二回目も別の東北地方の国立大を受けて駄目。浪人時代は親類宅に居候して予備校に通ったりしていたけど甘くなかったです。3回目に浜松医大を受験して、合格することができました。

医学部時代はテニス部に所属
医学部時代はテニス部に所属
みなと医療生協主催のスキーツアー。 東海北陸地方の医学生が参加していた
みなと医療生協主催のスキーツアー。 東海北陸地方の医学生が参加していた


医師になって強く印象に残っていることはありますか?

卒業後、三島共立病院で医師人生のスタートを切りました。5人目の受け持ちが30代の胃ガン患者さんで、受診されたときには末期の状態で、医療的に何もできなくて悩みました。ベッドサイドになかなか行けませんでした。沈黙が怖かったです。行っても辛くなってしまう。看護師さんから腰が引けていると指摘される程でした。一方でこの当時からいまも関わっている患者さんが5~6人いることは、励みになっています。


総合診療をやりたかった

卒後研修はどのように考えて作られたんですか?

まだ医師臨床研修(初期研修)が必修化されていない時代でしたけど、2年間みっちり研修できました。最初の半年間を三島共立病院で行い、あとの1年半は東京に出ました。当時病院長だった井田正彦先生は、規模の大きい立川相互病院を勧めてくれましたけれど、僕は自分で研修病院を選びました。

一つは、総合診療がやりたかったのでそういった研修ができるところだということ。小規模の病院では各科に分かれておらず、何でも診なくてはならないから医療のスタイルは総合診療になります。立川も総合診療方式の研修ができる病院でしたけど、静岡民医連の医療は診療所が多く担っていたのと、三島共立病院は48床からようやく82床になるという時期でしたから、王子生協病院の方が身の丈にあっていると思って選びました。伊藤淑子先生という存在を知ったことも理由の一つでした。週刊医学界新聞の特集をみて、指導を受けたいと思いました。本気で育てる指導にとりくんでいる先生でした。実は、王子生協病院に行ったら、伊藤先生は北病院に移動して院長になっていて「あれー」っと思いました(笑)。伊藤先生を目指してきた研修医は僕だけではなかったみたいです。

王子生協病院の野球チーム
王子生協病院の野球チーム
初期研修選択のきっかけとなった週刊医学界新聞
初期研修選択のきっかけとなった週刊医学界新聞


当時から総合診療という概念があったんですね。

王子生協病院には家庭医療学の第一人者となっている藤沼康樹医師がいました。ちょうど家庭医療の拠点として浮間診療所を開設する頃でした。「総合診療研究会」を立ち上げるときで誘ってもらいました。王子生協病院で1年間研修して、東十条の北病院で3カ月。ここで小池晃医師、山本一視医師の指導を受けました。伊藤淑子先生の指導もようやく受けることができました。上級の先輩から、総合診療やるなら婦人科もやらなきゃって言われて、最後の三カ月は婦人科研修を、立川相互病院でやりました。井田院長から最初にすすめられた病院です。立川相互病院とは縁が深く、後に内分泌研修でお世話になることになりました。


診療所で困ったことはありませんでしたか?

佐藤町診療所では、経験がない若い医師を師長、技師はじめ職員みんなで盛り立ててくれました。そのおかげでやってこれたと思います。3年目の三島でも4年目からの診療所でも、知識や技術でそれほど苦労したという記憶はありません。それは王子生協病院の研修がしっかりしていたからだと思います。もちろん、わからないことはたくさんありました。前任の聞間先生は漢方薬をたくさん使っていたので、継続処方するにも一から勉強です。聞間先生にはなんでも電話して聞いていましたし、これも聞間先生からですけど「組織にこもらず、外に出るように」と教示を受けていました。地域の開業医の先生方からも、機会あるごとに教わっていました。


民医連で医師をするってどんな感じですか?

患者さんと一緒っていうんでしょうか、病気に対して一緒に向き合っていけるのを実感しています。患者さんのことだけを考えてやっていける、自分の良心にしたがってね。病院だけでどうにもならないことでも、医療者と友の会の要求として一緒にたたかっていくことができます。無差別平等の医療を実感するときは、差額ベッド代の質問を受けたときです。患者さんを送る側の病院から金額を質問されることがあります。先方の医師も患者さんに説明する必要があるからです。うちはとっていませんと言えるのは、民医連だからこそです。


静岡民医連 医系学生サポートセンター

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