水谷民奈医師
生まれは静岡市、育ちは岡部町(現・藤枝市)、藤枝東高校から浜松医科大学に進学しました。三島共立病院、沼津市立病院で一般内科・各専門内科・皮膚科・救急科研修を行い、医学生時代を過ごした浜松に戻ってきました。趣味は空手(和道会弐段)と折紙(講師資格有)です。
看護師だった母の影響で小学生のころから医療職に憧れていました。その思いが深まったきっかけが2つありました。
1つ目は、絵本や漫画の影響でした。図書室で友だちがみつけて騒いでいた絵本「ひろしまのピカ」や、「かわいそうなぞう」を読み、理不尽に命を奪われた時代に衝撃を受けました。手塚治虫「火の鳥」も好きで、生命や死について考えさせられました。
2つ目は、てんかんの級友の存在でした。発作が起きた時に、「医師は学校で困っている状況を分かっているのかな」「私は、その子の普段の様子や保健室の先生のこともわかっている医師になりたい」そう思ったことを記憶しています。医療は「患者さんの生活背景・家族関係をまるごと診ていかなければ」というスタンスは、この経験から生まれました。
私にとって「家庭医」は、追い求め続けるあこがれるあこがれの医師像です。目指しているのは、患者さんの「何か言いたげな、言葉にできない思い」をキャッチし、誰にも話せないことを言ってもらえる医師です。診療所は患者さんや多職種とも距離が近く、患者さんを職員全員で支えている実感が大好きです。その中で、医師としてやりたいと思う医療を実践できています。他の専門職からの意見で問題が解決することも多く、とても心強く感じ、働きやすさにもなっています。
90歳以上の超高齢患者さんが急激に増えています。患者さんがどんな人生を送ってこられ、終末期に向けてどうしたいのか。今後Advance Care Planningとして職員の手も借りながら聞いていきたいです。医学生のみなさんも力を貸してくれませんか。
最近、延命を望まない患者さんがおられ、「私の意思書(リヴィング・ウィル)」を話あったわずか数日後に、お亡くなりになりました。後日、家族から「親子で最後の時間を共有できた」「本人の意思を尊重できた」と笑顔で感謝されました。またこんな人もいます。90代のある患者さん、体は衰えてきていますが頭はハッキリされ、訪問するたびに「死にたい」と言われます。医師である私が試されていると思います。
診療所は正解のない問題にあふれており、いくつになっても知らないこと分からないことが次々と発生します。正解のない問題と向き合うことで、日々自分の成長を感じられています。